いずれ証明され得る少女という命題 前





「ザーキーィ」

前の席の住人が椅子の背もたれに反っくり返って退の名を呼ぶ。
正確には苗字の一部を、それはもう、かったるそうに。
退の机の上には総悟の栗色の髪が拡がって、ノートを片付けることすら出来ない。

「…何すか、沖田さん」
「弁当、忘れちまった」
「…はぁ」
「うん」

甘やかしてはいけない。
こうやって周りが何でもしてやってると、いざという時困るのは本人なんだ。
ここは心を鬼にしないと。

「大変ですね」
「おぅ」

重力に従ってさらりと額から落ちてくる前髪。
逆さになっているものの、上目遣いの大きな瞳は女子達から「雨に濡れた子犬」と評される求心力を持つ。
本当、黙っていれば羨ましいくらいに整った顔をしているのだ。

「腹減ったなァ」
「そうですか」
「…」
「…」
「……」
「………」

沈黙の重さに耐え切れず、今日も席を立ってしまう。
しっかりと財布を握り締めて教室を出て行く退を確認して、総悟は口許を緩めて机に突っ伏した。








予想はしていた。
人だかりと喧騒を前に、退は溜息を吐いた。
チャイムがなってからゆうに5分は経過してから教室を出た。
3Zの教室は4階校舎の北側一番奥。
半地下の南側に位置する購買の昼食争奪戦に参加するには元々分が悪い。

「おばちゃん!こっちにカレーパン投げて!」
「メロンパン、ラスト3個だよ!」

走ってきてみたものの、食堂のおばちゃんと学生連中の怒声の飛び交いは既にピークを迎えていた。
今更人混みに突入して行ったとして(行くのを想像するだけでもうんざりするのだが)、果たして残り物ぐらいにはありつけるんだろうか。
カウンターに残る在庫を見極めようと、退は背伸びした。

「今の時間から来たんじゃ、もう目ぼしいモン残ってねーアル」

背後からぽつりと聞き覚えのある声がする。

「そうみたいだね…って、え?」

思わず答えてしまってから、慌てて振り返った。
調理パンと菓子パンの紙袋に足が生えて立っていた。

「…留学生の、神楽さん?」
「他の誰に見えるんだヨ」

メロンパンと、餡パンと、たまごサンドに見えます。
…とは、さすがに答えなかったが。
両手で抱えた紙袋一杯にパンが詰まっている。
頭一個分ほど高くまで積み上げられたソレのせいで、顔が見えなかったのだ。

「潔く諦めるアル。今行っても無駄死にするだけヨ」

修羅場と化した購買部を振り返る。

「分かってるんだけど。困ったなぁ。何か買って行かないとそれはそれで殺されそうだし」
「珍しいアルな。ザキが購買来るの。いつも弁当じゃなかったアルか?」
「忘れたんだ」

ふぅん、と興味の無さそうな声が紙袋の越しに聞こえてくる。
退が人混みに足を踏み入れようと決意しかけたとき、引き止めるように紙袋が押し付けられた。

「私の、分けてやろーカ?」
「え?いいの?」
「うん。良いけど、運ぶの手伝って欲しいアル。前見えなくて困ってたネ」

見えないけれど神楽が笑った空気が伝わってきて、退もつられて笑いながらパンの山を受け取った。











「神楽さんこそ、お弁当派じゃなかったっけ?」

結局全てのパンを引き受けて、退は危なっかしく階段を一段ずつ踏みしめていた。
身軽になった神楽はぴょんぴょんと跳ねるように数段先を上っていく。
戦利品の一つであるクリームパンを頬張りながら。

「メインはさっきの早弁で食べきっちゃったアル。さっき買った分はデザートヨ」
「…これ全部?」

改めて袋の中を覗き込む。
一クラスの一食分は賄えそうな量だった。

「デザート用のお弁当も別にひと箱作ってきてるヨ」
「作って…え?まさか自分で?」
「うん。こう見えて料理得意アル」
「へぇ、それはすごいね」

退は純粋に感動した。
何個あるのか正確な数は分からないが、神楽はかなりの量の早弁をしているはずだ。
毎朝自分で作っているのだとしたら、大変な手間だと思う。
遅刻スレスレで駆け込んでくるのに、弁当は忘れたことがない。
恐るべき食への執念というか。

「ジミーも弁当ダロ?今日は寝坊したアルか?」
「いや…俺じゃなくて沖田さんなんだ、忘れたの」
「パシられたアルか?」
「そうじゃな…いや、そうだけど」

昼飯を買って来いとはっきり言われたわけじゃない。
だから、形としてこれは退がボランティアで行なっていることになる。
おぼつかない口調ながら説明すると、神楽は呆れかえった表情で振り向いた。

「前々から思ってたけど、お前らアイツに甘すぎヨ。弱みでも握られてるアル?」
「末っ子体質なんだよ、あの人。
 甘え上手というか。沖田さん以外は一番上だからなぁ。
 つい構っちゃうんだよなァ」
「それ!ジミーいっつも『さん』付けで敬語喋ってるけど、アイツ実はダブってて3つくらい年上だったりしないネ?」
「…弱み握ろうとしてるの、神楽さんじゃないの?」

総悟と退とは同じ剣道場に通った幼馴染だ。
師範が昔気質の厳しい人で、幼いながらも上下関係の礼儀はきっちり教え込まれた。
兄弟子であり有段者の総悟は、同い年とはいえ別格と摩り込まれてしまっている。
もちろん、優位を主張したがる総悟個人の性格的なものもあるが。
説明しつつ、幼い総悟にまつわる数々の武勇伝を面白可笑しく話して聞かせると、神楽は目に涙を浮かべて笑い転げた。

「後から入ったのにタメ口聞けるのなんて、今じゃ副委員長くらいだよ」
「トッシー、風紀委員なのにガラ悪すぎアル。
 チンピラ風紀委員だって、アイツ言ってたヨ」
「そうそう、ふさわしくないとか何とか言って副委員長の座を狙ってるんだ」
「自分だって風紀を乱してる方アル」

最後の一段、ひときわ高く跳ぶとリノリウムにすたっと音を響かせて着地する。
クスリと悪戯に笑う横顔が踊り場の窓から差し込む逆光に映えて、退は目を細めた。
階段を上りきると、3Zの教室はすぐそこだ。

「ありがと、ジミー」
「どういたしまして」

差し出された手にパンの入った紙袋を返す。
購買からここまで辿り着く間に、中身は3分の2程度まで消費されていた。
紙袋に手を突っ込んでがさがさと掻き回した後、少し潰れたパンを取り出した。

「3つで足りるアル?」
「充分。ありがとう」
「じゃあネ。私、そよちゃんと食べる約束してるから」
「徳川さん?A組だっけ?ごめんね、俺のせいで引き止めちゃって」

A組はZ組とは反対側のこれまた校舎の端に位置する。
気遣ってわざわざ遠回りしてくれていたのか。
退は急に申し訳なくなって頭を下げた。

「ジミーじゃなくて、サドのせいダロ。
 躾けるならもっと強気でいけヨ。
 野獣を野放しにするのは良くないアル」

人差し指を突き立ててぴしゃりと言い放つと、神楽は勢い良く廊下を駆けて行ってしまった。
退の返事を聞く間もなく。
翻るセーラーの背中を見送る心中は何故だか少しあたたかかった。








昼休みの教室独特の弛緩した騒がしさの中に戻り、退はふと我に返って青くなった。

「沖田さん…食べれないのあります?」

総悟は中々の偏食家だ。
本当は、「食べられるものあります?」と聞く方が良い位、好き嫌いが激しい。
文句言わずに残さず食べる割に、根に持つタイプだ。
机の上にパンを並べつつ、横目で伺うように総悟の顔を覗き見た。

「んー、無難なチョイスなんじゃねぇの」

許容。
彼にしては、まずまずの好反応だった。
眠そうな目で机の上を一瞥すると、焼そばパンの袋を盛大に破って齧り付く。
退はほっと胸を撫で下ろし、心の中で神楽に手を合わせた。

「やっぱパシリはザキだな。土方コノヤローは無駄にマヨ臭くていけねぇ」
「んだと総悟、マヨのどこが悪ィってんだ」
「何でィ土方さん。あんた俺にパシリ向きって言われたかったんですかィ」
「あーもー、せっかくのお昼時に止めて下さいよ二人とも!」




→後
モドル