空を仰ぐ 前




おかけになった電話は現在電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため通話できません。こちらの番号は―




機械的なアナウンスに耳を傾けて、神楽は溜息を吐いた。
せっかく、久しぶりに電波の入る星だったのに。
未練がましく携帯を握り締めていると、すっかり搭乗準備を整えた星海坊主が早足に近付いてくるのが見えた。

「神楽ちゃん、そろそろ出発だ」
「分かってるアル。少し黙ってろヨ、ハゲ」
「パピーと呼びなさい、パピーと!」

すっかり御馴染みになってしまったやりとりを惰性で繰り返す。
ガラス張りになったロビーの外に、神楽が今から乗り込む宇宙船が待機していた。
見上げて、少しだけ沈んだ気持ちを吹き飛ばすように首を振る。
船に乗り込む前に主電源を落とそうと確認したモニタに、更新されたばかりのリダイヤルの履歴が表示されていた。

(おきた、そうご)

心の中でなぞるだけで、その響きは神楽の胸を締め付ける。
面と向かって呼んだ記憶は一度たりともない。
彼の名前を知ったのがいつのことだったかもわからない。
けれど、もはや忘れられない名になることを心のどこかで覚悟している。
二つに折った携帯をポケットにしまうと、神楽は小走りで父の背中を追いかけた。

たぶん、またしばらく、携帯は使えない。







「何アルか、これ」
「何って、携帯電話」
「違ェヨ。どういう意図で携帯なのかって聞いてるネ」

別れ際に恋人に渡すものにしては、些かロマンに欠けるのではないか。
それでも、いかにも実用一辺倒・耐久性が売りといった愛想のないそのフォルムは彼らしくもあって、受け取った神楽は思わず笑ってしまった。
総悟は無表情を崩さずに、足元に視線を投げたままだった。

「いらなくなったら、捨てればいいだろィ」

さらりと落とされた台詞に疑問を差し挟む余裕も無かった。
踵を返して立ち去る総悟と入れ替えに、別れを惜しみに押し寄せたかぶき町の住人達にもみくちゃにされながら、混乱した思考を押さえ込むのに必死だった。
そもそも、相手が恋人と認識してくれていたかもわからない。
面と向かって告白しあったことなどないのだ。
ただ、覚えたてで持て余し気味の感情に、お互い怖いくらい無防備にはしゃいでいた。
少なくとも神楽にとって、総悟は特別だった。


いらなくなるって、どういう意味。
捨てるって、誰が、どちらを。



結局何も聞けぬまま、神楽は父に付いて宇宙に出た。
幼い頃からの夢だったえいりあんはんたーになるための修行が始まるのだ。
期待と不安で最初のうちは柄にも無く眠れない日々が続いた。
押入れに閉じ篭っていた頃には想像出来ない程、宇宙は広かった。
毎日が刺激的で新しく、学ぶべき事に果ては無い。
仕事が終わると、タフなはずの神楽でさえ起き上がれないくらい疲れきっていることが多々ある。
地球を離れた寂しさも、徐々に薄れていった。

それでも何故か、総悟の携帯は手離せなかった。
地球を出てから2ヶ月、ぴくりとも震えたことの無いその機械はもはや本来の使い方を忘れてしまったのか、お守りのように神楽のポケットに収まっていた。
渡した当人がかけてくる様子もない。
本当に、どういうつもりでこんなもの渡してくれたんだ。
お陰で気になってしょうがないじゃないか。


待っているだけの状況に痺れを切らし、短縮1番に設定してある総悟の番号に初めてかけてみたのが4ヶ月後。
通話口からは録音音声で、相手の電源が入っていないことを告げるメッセージが流れた。


宇宙でも使えることを謳った機種のCMはあくまで先進国のみで流れているもので、えいりあんが現れる未開の星々にまで電波塔が整備されていることは少ない。
もしかしたら、圏外になっているときに電話がかかってくるかもしれない。
星を移る度にアンテナの数を確認し、そんな自分を嫌悪した。
せっかく夢を叶えに来てるというのに、気が散って仕方が無い。
一瞬の気の迷いが命取りになる現場にいるというのに。
ひょっとして、最後の嫌がらせだったんじゃないか。
こうして振り回される神楽を、あの青い星から嗤ってるんじゃないか。
渡した時点で気が済んで、もう神楽のことなんて忘れているかもしれない。
音沙汰は無いくせに、使用料金は律儀に払ってくれているのか、電話を止められる気配も無かった。



すっかり操作しなれてしまった短縮ボタンに、呼び出しのコール音が答えたのが6ヶ月目。
たっぷり1分は待たされた挙句、留守番電話に切り替わった。
特に用があったわけではないし、残すべき言葉も思い付かなかったので、何も言わずに通話を切った。
その日はそれから丸一日休憩も無しに仕事。
分裂して増えるタイプのえいりあんを相手に、きりの無い攻防戦を繰り広げた。
なんとか分裂を食い止め、依頼主が用意してくれたホテルの部屋に戻ったと同時に泥のように眠りこけた。
翌日の昼過ぎ、宇宙船の出発に合わせてセットしていた携帯アラームを止めようとして、着信に気が付いた。
時間を確認して、思わず舌打ちする。
丁度えいりあんの核を抉り出していた頃だ。
爆音に紛れて着信音が聞こえなかったらしい。
慌ててかけ直しても、いつものアナウンスが圏外を告げるだけだった。



その一週間後、今度はメールが届いた。
電話が繋がらないのなら、メールすればいい。
その発想に至らなかったことに気付いて愕然とした。
だが、まぁ、携帯を使い慣れてない自分には当然のことだ。
そういうことにしておこう。
タイトルも本文も空欄のまま、昔よく喧嘩した川原の桜並木の写真が添付されていた。

「きれいアル…」

滞在先のベットに仰向けになって、神楽は小さな画面を食い入るように見詰めた。
何度見直しても角度を変えてみても本文は真っ白のままだ。
何を思ってこの薄紅色を送ってきたのだろう。
ちょうど咲いたばかりだったから、綺麗だったから。
神楽にも見せたいと、そう思うくらいにはまだ、自分に関心があると解釈してもいいのだろうか。

神楽は画像フォルダを開いて、前に宇宙船内からこっそりと撮った写真をメールに貼り付けた。

『宇宙からの夜景です。』

『沖田にも見せたいです。』

迷った挙句、後の一文は削って返信ボタンを押した。



それから、メールのやりとりが始まった。
総悟からのメールはやはり画像が中心で、それでも一言二言と近況を書き添えるようになった。

『サド丸35号。最近こいつに土方さんを襲わせてます』

『万事屋の旦那と新八君。たまたま会ったので、ポーズとってもらいました』

「…作文かヨ」

顔を合わせれば耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言を遠慮なくぶつけ合っていた2人なのに、書き言葉になると途端にデスマス口調になるところが自分でも可笑しかった。
とはいっても、総悟は筆不精で長い文章を書いて寄越さないし、神楽は神楽でえいりあん退治のため電波の届かない星に滞在する事も多い。
数ヵ月ぶりにセンター問い合わせをかけても、総悟からのメールが一件も無かったことだってある。
今送るメールに果たして返信があるのかどうか。
まだ、覚えてくれているかどうか。
もう1年以上声を聞いてないのに。
神楽自身、総悟の声があやふやになりつつあるのに、まだ待ってくれているのだろうか。
そんな不安から目を背けながら送信するメールはどこか後ろめたかった。
決して嘘は吐いていないけれど、本心そのままでもない。
寂しいと素直に訴えることの出来ないプライドと、待たせていることの罪悪感が苦しかった。
短いなりの総悟との繋がりを辛いと感じてしまった自分が嫌でたまらなかった。





電話が使えなくなったのは、地球を出てから2回目の春だった。
地球側が支払いを止めてしまえば、当然ながら通信手段は途絶える。

「いらなくなったら、捨てればいいだろィ」

それはつまり、神楽を必要としなくなったときの終わらせ方を指していたのか。
逆に言えば、電話が使える間はまだ望みがあったのか。

想像したよりも動揺はしていなかった。
忘れられていたらどうしよう。
他に好きな人が出来ていたらどうしよう。
何通りもの「最悪のシナリオ」を描き続けた結果、現実はやけにあっさりしたものに感じられた。

どうしようって、どうしようもないだろう。
起きてしまったものは元に戻せない。
自然消滅なんて、自分と総悟の関係を考えたら奇跡のように穏やかな終焉じゃないか。
はじめから何も無かったのだから、何にも失う恐れは無いはずだ。

そう、頭では納得出来るのに、胸に押し寄せるのは紛れもない喪失感だった。

「…―っ」

声を殺しても、目蓋を強く押さえ込んでも、溢れ出してくる冷たい熱。
ああ、確かに失くしてしまったんだ。
為すすべも無く零れ落ちる涙を他人事のように眺めながら、神楽は初めての痛みに膝を引き寄せた。




→後
モドル