同じ空の下で    序章


パタパタと廊下を走る軽い足音が聞こえ、神威は口許を緩く上げた。
シプレの香りのふわふわと漂う髪の毛を力強く拭かれる中、目前の扉がギィという音を立てて開けられた。

「もうお風呂あがったアルカ?」
「あぁ、もうあがったヨ」

紅いドレスを纏った神楽は、顔を綻ばせ神威に近寄る。
神楽が歩く度に、ふわりと揺れる髪の毛からは何か甘い香りがしたが、神威がその香りを気にかけることはなかった。
夕日と共に窓から入り込んだ風が浚うのと同じように、神威は神楽の髪を一筋すくう。
一、二本、滑り落ちたのを細めた目で見送り、未だゴシゴシと髪を拭く阿伏兎の手を神威は同じもので制した。
それに、ふぅと阿伏兎はため息をつくと、すぐに櫛を手にし妹と戯れる子供の髪を梳き始める。
目の前では神楽が神威のバスローブに顔を埋めていた。
この兄妹のシスコン・ブラコンは今に始まったことではない。

「ふふっ」
「どうしたの、神楽」
「兄ちゃん、今日は良い匂いがするネ。 アブト、私が髪の毛梳かすアル」
「はいはい、どうぞお嬢さん」


阿伏兎の科白に神楽はムッとした顔を見せたが、小さな手は素直に櫛を受け取った。
男の手には小さかったそれを、彼女はぎゅっと握り締め慣れない手付きで兄の髪を梳かし始めた。
何度か頭を後ろに持っていかれる神楽に、阿伏兎は笑をこらえる。
阿伏兎相手には厳しいのに、妹相手だと随分と甘い。
おかげで、神楽の兄離れはまだ遠そうだ。

「梳けたアル! すごくネ!?」
「はいは、すごいですネー。じゃぁ、髪の毛縛るからちょっとどいてくださいコンチクショー」


阿伏兎は軽く神楽をあしらうと、紫色の細い髪紐を手にした。
それを目にした神楽の顔が輝いたのを、目の端にとらえたが阿伏兎はそのまま神威の髪を縛ることに専念した。
母親譲りの薄紅色が子供特有の柔らかさを持って、阿伏兎の手をすべる。
その間も神楽はずっと髪紐を見つめていた。

「ね、ねぇ、ちょっとだけ見せてヨ」

うずうずとした様子で、手を伸ばしてきた神楽に阿伏兎は何度目かのため息をついて、それを手渡した。
細い、しかし丈夫な紐は、神楽の手に遊ばれる。
顔も髪色も似ている分、きっとこの娘にも似合うんだろうと思ったが、口に出すことはなかった。
やがて満足したのか。戻ってきたそれで阿伏兎は目の前の薄紅色を緩く結んだ。
そういえば、神威はずっとこの髪紐を使っていると今更に思い出す。

「いいなぁ、それ。私も欲しいアル」
「もし、いらなくなった時がきたらあげるヨ」
「マジでか!? キャッホオオウ!!」

諸手を挙げて全身で喜ぶ神楽を、神威はただ見つめていた。
小さな子供の口約束は、静かに、そして確かに。
窓の向こうでは協会の鐘がいつもと変わらない音色で、あの日と同じように鳴り響く。



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