「神楽ちゃんによろしくな」と言った星海坊主の言葉を背に、神威は来た道を戻る
ことにした。
未だ伸びている門兵を跨り、座敷牢と通路を繋ぐ門を潜った。
すぐ目前に広がる左右に分かれた廊は右を選ぶとそのまま進み階段を上り、
足音はおろか気配さえも殺して、長々と続くそこを登っていく。
やがて地下と1階の狭間の門が見えてくると同時に神威の視野には来る途中に
ノックアウトさせてきた門兵が2人、そのときのまま横になっているのが入ってきた。
時間にして、未明。
どうぞゆっくりお休み、と神威はその場を後にした。
* * *
女中の朝は早い。
とりわけ、ニホン国からの人質として仕えているミツバたちの待遇は決して良い
ものとは言えなかった。 本国出身の女中たちよりも早くに起きて、大広間や
嵌め殺しの窓を磨いたり、王族の今日のスケジュールを確認し、それがスムーズに
執り行われるようにしたりと、朝食を取るまでは何かと忙しい。
今日も黎明の刻に起床したミツバはさっさと身支度を済ませると仕事をすべく廊下へ出た。
澄んだ、まるで生まれたばかりのような空気がミツバを包む。
このような朝独特の空気は、故郷とそこに住まう人々を思い出してならない。
今は、手紙も出せないような状況だが、元気にやっているだろうか。
―――もう、どれ程逢ってないだろう。
「!」
ほんの少しの寂しさに思考を占められていたその時、ふと視界を過ぎったのは―――
―――桃色の、長髪。
何故、と思った。
何故こんな時間に彼は起きているのか。
どうして、地下牢のある通路から歩いてきたのか。
あぁ、そういえば。 彼の父親が投獄されていたのだった。
詳しい経由は知らないが、噂では前・王女に逆らったためとされている。
中庭にも牢獄はあるのだが、星海坊主がいるのは城内地下にあるとされている座敷牢だ。
そこは監視が厳しく、たとえ肉親であっても面接の許されない場所。
・・・特別に、許可でも貰ったのだろうか。
ミツバは少し首を捻ると、しかしすぐに考えるのを止めて厨房へ向かった。
今や、罪人扱いである星海坊主に朝食を持っていくために、だ。
それも、ミツバたち女中の仕事であった。
王族に料理を振舞うシェフの預かる厨房とは別に作られた小さなそこ。
床には野菜や果物の入った駕籠が積み重ねてあるか、あるいは乱雑に並べられ
それと一緒に置いてある小麦粉の入った袋も中身を多少溢しながら鎮座してある様は、
綺麗とは決して言えなかった。
常時、埃っぽい匂いのあるそこに立ち、ミツバと、遅れてやってきた数名で朝食を作り始める。
自分たち、本国出身の女中たち、そして罪人の分は合わせて少ない量ではない。
長年使われ続けてきた鈍く光る鍋に、ごろごろと入れられた具をかき回す自分の腕は、
そういえば太くなったかしらと思っていると、1人の女中が口を開いた。
「そういえば、聞いて! 地下牢の門兵、また伸びてたらしいわよ」
あら嫌だ、怖いわね。とその場に居た他の女中が相槌を打った。
もう何回目よ、最近多くない?しっかりしてくれないと! と、別の女中。
些か黄色味をも帯びている彼女たちの声に、ミツバは何の言の葉も挟まないまま
ただひたすらに目の前の料理に取り組んだ。
毎日が同じ、しかも異国からの人質だというだけで重労働を担う彼女たちの会話に、
こういったハプニングのようなものは丁度良い種なのだろう。
だが、だからといって、ミツバまでその話の中に容易に入っていくなど出来なかった。
『・・・上手くすれば、あなたも国に帰れる計画がある・・・。
・・・乗ってみる気は無い?』
―――そう、神威に言われてからもう1週間は経ったのだろうか。
何の返事もせずに、その日は終わってしまったけれど。 ずっと迷っていた。
『上手くすれば』の意味と、『あなたも』という、ニホン国からの人質が
ミツバだけではないと知りながらも神威の放たなかった複数形の言葉。
否、それは問題ではない。
ミツバにとっては話を持ち掛けてきたのが神威だからこそ、悩むのだ。
仮に、その門兵を倒したのが神威なら、しかも今までに何回もあると言うのなら
もう計画は実行されているということなのだろうか・・・。
「ねぇ、ミツバさん。ミツバさんもそう思わなかった?」
「え?」
すっかり思考に専念していたらしいミツバを覗き込むように女中の1人が話し掛けていた。
あら、聞いてなかったの?と彼女が笑い、もう1度繰り返してくれた言葉、は―――
「いつもミツバさんが罪人にご飯持って行くときが・・・多いわよね。
門兵が、倒れてるのって」
* * *
「ちょっと・・・」
「あぁ、久しぶり?」
仕事の合間を縫って彼に会うのは随分と骨であり、ミツバが神威を呼び止めたのは
既に夕刻の時分だった。
尤も、仕事量も範囲も異なれば、それは必然だったのかもしれないけれど。
丁度、神楽の部屋から出てきた神威は王族御用達の仕立て屋・栗子を連れていたが、
ミツバはそれに構うことなく神威に近づいた。
「話があるの」
「それって、この前の返事?」
「それもあるけど・・・それ以上に・・・」
神威の半歩後ろに苧立する栗子が見上げる先、神威の顔には相変わらずの笑みが
浮かんでいる。
彼の持ちかけた話にすぐに返答出来なかったのは、彼のその貼り付けている笑顔にも
一要因はあった。
神威の笑顔は実質、無表情と変わりないのだ。
それが、怖かった。
「・・・良いよ。話を、聞いてあげる。今晩、俺の部屋に来なよ」
そう、静かに落とされた言の葉は、すぐ耳元に紡がれて。
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モドル