色とりどりの柄や色の広がった布が部屋に何枚も重ねて置かれ始めたのは、
今からちょうど二時間ほど前のことだ。
それらは総てが国でも五本の指に入るという上質な素材で出来ており、
神楽にとって服は着られればそれで良いという概念でしかなかったためか、
今、目の前に広がるのは王宮に上がるまで神楽の目にしたことの無いようなものばかりであった。
ペタリ、と布地の貼られた分厚いカタログに神楽が最後のピンを押すと、それを
満足げに見届けた仕立て屋の栗子がカタログを手元に寄せた。
確認のためか、ピンの押したものを栗子が前屈みになって目を落とすのと同時に、
綺麗に切り揃えられた彼女の名前の通りの色をした髪の毛がさらりと揺れる。
ミツバのそれも優しい色をして綺麗だが、栗子の髪の色もまた神楽は好きだと思う。
松平栗子は王宮専属の仕立て屋である。
ニホン国で働いているという父親のもとから自立し、仕立て屋を営んでいる栗子の
デザイン性は王宮でひどく寵愛されていると聞いたのは兄だったか、ミツバだったか。
それは曖昧なままであるが、ひとつしっかりと覚えているのは栗子が神楽を含め、王宮の
女性の服を仕立てているということと、それ以外の顧客・・・・つまり一般市民の国民を
相手に仕事を行っていないということだった。
何でも、宮殿に住まう王族を相手にする以上、王宮の機密を知ってしまうのは必須であり、
それを国民に知られないようにするため、らしい。
"自ら"入っていった地位ではあるが、その地位に翻弄される二人の意気が投合するのに
時間がそう掛かることは無かった。
「パンの値段がまた上がったアル?」
「はい、そのように見受けられるでございまする。このまま高騰していけば、
国民がやがてはパンどころか小麦粉さえも買えなくなる日だって近いと思われまするよ」
「マジでか・・・」
高い報酬と情報の漏洩の禁止を条件に栗子は住まいは貴族街に定められていたが、
市街に出ることを許されていた。
おかげで神楽は諷刺画の載った新聞以外に外の情報を得ることができていた。
会議で時たま上がってくるよりも生々しいそれが、少し前までは自分の身の周りで
あったことを切なくは思うが。
そう、少し前までは神楽はただの一般市民であった。
アルメリア・シェーダン国先住民族・夜兎の、そして歩哨の長を父に持つ、それだけが
特徴の。
まさかまさか、一介の娘が王宮に上がるなど誰が想像しただろうか。
「・・・その時はアレ アルな。ブリオッシュを食べれば良いアル」
「え?」
市民たちの置かれる思わしくない情報に神楽は眉を寄せて考えていたかと思うと、
突拍子なことを言い出した。その上、ひどく誇らしげな顔で。
しかし、何故いきなりそのような話の流れになるのか栗子が聞き入ろうと思うのは、
即位してから日が浅いとは言え彼女なりに国民を想ってることを知っているからだろう。
証拠に、栗子が神楽の蒼く住んだ瞳を見つめていると、彼女は先ほどまで紅茶を含んで
いた形の良い唇をニッと弧の字に描かせると、口を開いた。
「知ってるアルか? 此の国ではパンを売れないときは、パンよりも高いお菓子を
パンと同じ値段で売らなきゃいけない法律が有るアルよ」
そう言って神楽は一刻半ほどまえに神威が持ってきたブリオッシュにフォークを
突き刺すと、顔の近くで二、三回振ってみせた。
そんな彼女の行為に笑う栗子が神威に想いを寄せていることも、たとえ法律を知っていた
として女王でありながら自分に何も出来ないことも、知りながら。
* * *
神威がそこを通るのはもう何度目になるか知れない。
その回数など初めから数えていないが、おそらく両手では足りないのは確かだろう。
ドサリ、と背後で門兵が倒れる音を笑みを浮かべた表情で聞き届けると、
神威はそのまま歩を進めた。
薄暗いそこは蝋燭では足元を照らすので精一杯だった。
それでも円柱に沿って造られた階段を下りて行くのは慣れたもので、目的地には
すぐに着いた。
「ハゲ、調子はどう?少しは進んでる?」
「神威か。門兵を倒すのは良くない。あとで手懐けるか、弱みを握るかしなさいって
父さん言ってるだろ。あとパピーのことハゲっていうのやめなさい」
神威の問いに対する答えが最後まで言い終わらない前にガンッという音が木霊した。
二人を隔てる鉄格子を神威が蹴ったのだ。
しかし、それに彼の父親・・・星海坊主が何を言うわけでも無く、ただ彼は自分の息子の
態度に溜息をついただけだった。
「俺の方はひどく不調でね・・・人の目につかないようにコトを進めるのはなかなか
どうして難しいね。
何しろ、俺は神楽の世話を焼きつつでもあるし?
その点、あんたは一日でそこそこ進めることが出来るはずだろ?
そのために、俺がわざわざ門兵を倒してやってんだから」
「・・・・・」
自分と神威が密かに進めてることについて話すのに、門兵は確かに邪魔であるが、
倒したら倒したでまた面倒なことになると思い忠告をすればこれだ。
にこにこと笑みを貼り付けながら朗々と語りかける神威を星海坊主は
ただ見つめることしか出来なかった。
息子の温かみの無い笑みと、それを顔に浮かべながらチクチクと責めてくるのは
完全に彼の母親であり、自分の愛妻の遺伝だろう。
彼女は今は病の床に伏せてしまっているが、息子の顔が(下手をしたら神楽よりも)
彼女に似ている分、余計に応えることは必至であった。
ふ、と神威が目を伏せる。
何の感情も匂わせない彼の口がやがて紡ぐであろう言の葉を、星海坊主は解っていた。
決まっているのだ。
彼がこういう顔をするときはいつも―――。
「ハゲ、パンの値段がまた高騰したらしいんだ。
国民はますます王族に不満を募らせるだろうね。
此の意味、解るだろう?」
残された時間が、少ないんだよ
神楽を想うときにだけ浮かべる表情。
彼自身がそれに気づいているかは分からないが、分かったとして、
今出来るのは早くその顔が晴れるように祈ることだけだ。
神などとうに信じていないというのに。
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モドル