たゆたう意識はゆらゆらと、それが妙に心地よくて。
あぁでも誰かが呼んでいると。認識するのは頭の隅で良い。
どことなく目を覚まさなきゃと思う傍らで、いつまでも視線が追いかけるのは黄色に照らされる海と、その中に漂う
小さな瓶だった。
手を伸ばして、
その瓶に触れようとして
これが夢だと気づいていて
結局、それに触れることなく意識は少しずつ浮上していった。
「・・・兄ちゃん?」
朧気に見えてきた人物に、神楽は重たい目を何度か上下させながら問う。
何時の間に寝てしまったのだろう。
ご丁寧にベッドの中へ入れられていた身体を軽く伸ばし、それからややしてから、ゆっくりと上半身を起こした。
やがてはっきりとしてきた視界には予想に反し、女性の顔がひとつあり、目が合うとその女性は柔らかく微笑んだ。
彼女の白い肌とそれによく映えた琥珀色の目、はちみつ色の髪の毛。
纏う雰囲気は温かく、どこか儚げだ。
ベッドの傍らに佇んでいた彼女が緩やかな弧を描いていた口を言の葉を零すために開くのと、神楽が小さく「あ、」と
零したのはほぼ同時だった。
「お目覚めになられましたか?神楽王女。あなたのお兄様から直々に・・・」
「・・・ミツバ姉っ!!」
入り混じる感情は驚きと喜び。
声に現れたのはどちらだろう?
神楽はベッドから抜け出すように身を乗り出してミツバに抱きついた。
少しだけ後ろによろめいて、それでも彼女はしっかりと神楽の背に腕をまわしてくれた。
ただそれだけが嬉しくて、神楽は思わず笑みを零す。
「逢いたかったアル」
「私もよ・・・神楽・・ちゃん」
そして、漸く身体を離し始まる会話は予め決められていたかのように、いつかの邂逅の追憶であった。
当時から城に仕える歩哨として、そして夜兎族出身としては珍しく歩哨の長の地位に就いていた父が家に帰ることは
稀であった。
城下の街に他の家と共に連ねた屋根の下、父の不在の代わりのように阿伏兎が"手伝い"という形で出入りしていた。
だから、だったかは解らない。因果関係を結んでしまえばそれまでだが、特別に理由をつける必要もないだろう。
会いたいと、常々思っていたかもしれないし、単に気まぐれだったかもしれない。
きっかけはとうに忘れたが、それ程年端のいかなかった神楽は一人で父の働いている城へ赴いた。
けれども、突然現れた子供を正門にいた憲兵が城に通すことなど当然許すはずもなく、それは星海坊主の子供なのだと
言っても(驚かれたが)結果は同じだった。
しかし、まだ幼い神楽にそれを理解できるわけもなく、じんわりと目の奥が熱くなりはじめた。
泣くまいと唇を噛み締めたのは当時なりのプライドだろう。
それでも少しの刺激で熱いものは頬へ伝い落ちそうだった。
丁度、そんな時だった。
『あらあら、お嬢さんどうしたの?』
そう言いながらミツバは現れたのだ。
今よりも長かった髪の毛は後ろでひとつに纏め上げ、今と同じ仕事服で。
優しげな笑顔もその頃から健在であった。
ミツバは神楽の視線に合わせる様にしゃがみこむと、ふんわりと手を握った。
絡んだ視線の先には銀時に似た紅い目が緩やかに細められている。
揺れていた視野はいつの間にか治まっていた。
『パピーに会いに来たのに、このオッサンどもが通してくれないアル』
『そうなの?困ったわね。じゃぁ、お父さんが来るまで、私と一緒に遊んでましょうか?』
様子をじっと見ていた憲兵がミツバの提言に、「え、」と少し目を見開いたが、それを余所に彼女は神楽の手を引いて
『私が責任を取りますから大丈夫です』などと彼らに言い、城の中へ入っていったのは今も鮮明に残る記憶のひとつだ。
それにしても、見知らぬ子供を城に入れるなど、今思ってもミツバは凄いことをしてくれた。
その訳を知ったのは、父がミツバたちに写真を見せびらかしていたためだったのだと、その日
銀時を連れて帰って来た父が酔った中で言ったものだった。
それから女中として働く彼女に何度も会うわけにはいかなかったものの、星海坊主を介した伝言というやりとりと
数少ない交流は数年間続いた。
「しばらく連絡取れなかったから寂しかったアル」
「そうね、ここ一、二年だったかしら? ごめんなさい。あなたのお父さんをお見かけするのが難しくなって・・・・」
"せめて二人のときは昔のように"の次に、"「この件」に関して謝らないで"、というのも付け足しておこうか。
そう思いながら、神楽は首を横に振った。
「ううん、謝る必要ないネ。あのハゲ、投獄されてたんだモン。仕方ないアル」
神楽の言葉にミツバは一瞬目を見開くと、やっぱりそうだったの、と一言呟きそして目を伏せた。
陽の下では頬に影を落とすのだろうと思うほどに長い彼女の睫毛が微かに震えている。
やがて、声までも震わせてついた言葉は静かに空中へ紡ぎだされた。
「噂では・・・聞いていたの・・・でも私たちのような女中、知れたのはそこまでだったわ」
外では午後九時の鐘が鳴る。
02/
04
モドル